-誰のためのアート- 81

P864

2011年7月29日(金)

今日はインターバル走で4キロ程度。
足の痛みはまだあるけど、
距離は伸ばせてていい具合だ。
練習にバリエーション加えていこうと思う。

——

会社のお中元のビールを分けてもらう。
やったーと喜んでたら、
そんなもので喜んでくれるなんて、
とびっくりされた。
おれのビール好きはまだ浸透していない。

——

今日、目にしたGoogle+のポストに
美大をでなくても、美しいものを語ることは
できるというような表現をみた。
これって分かりきったことのようで、
本当に忘れがちなこと。

学生の頃良く著書を読んだ金子達仁さんの
言葉にやはり似たようなことが
あったことを思い出した。

僕たちは、普段、それは
専門じゃないから、とかそんなくだらない
理由で自分の感じた美しさにフタをして
しまってはいないだろうか。

——

もっと自分の感性を大切にして、
評論家や専門家の言葉なんて話半分でいいと思う。
美術館にいって、この絵はこんな色を
つかってるから美しいんですと
説明されても、納得できなかったら、
無理に飲み込む必要はない。
それよりも描かれている草原に
美しさを感じるのなら、それこそが
その作品と自分に対する価値なわけで。

一般大衆を切り離そうとするアート論に
価値なんてない。
すくなくともぼくにとって価値はない。

——

だからこそ、ぼくも創作する時は、
どこの誰だかわからない専門家を喜ばすより、
目の前の被写体になってくれる友人や、
この写真みてくれる家族や仲間が喜んでくれる写真を撮りたいなって思う。

もちろんみんなが喜ぶ作品なら
なおのこと良いけれど。

知識や理論は大事だけど、
美しいものを素直に美しいと言える人のほうが、
ぼくはながくお付き合いしたいなって思います。

きょうはここまで。

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