「明日から少しゆっくりできるな」先輩がそうつぶやいたのは会社破産の前日だった 3

Boarded Store Front

Boarded Store Front by Rennett Stowe, on Flickr

 

前回までのお話はこちら。

「明日から少しゆっくりできるな」先輩がそうつぶやいたのは会社破産の前日だった 1

「明日から少しゆっくりできるな」先輩がそうつぶやいたのは会社破産の前日だった 2

 

給料未払いのまま3ヶ月が経過、

感覚はだいぶ麻痺しだしてた。

 

 

7月を迎えて、さすがに生活費も苦しくなってきていた。

 

この頃から、

僕たち経営企画の人間は、代表取締役直轄の精鋭部隊だったこともあってか、

代表取締役からよく金を借りるようになった。

もちろん、僕らが言い出したわけではなく、

「お前らには悪いから。給料はいつか必ず追いつくからそのときに返してくれ」

そんな言い方でちょこちょこと金を渡されていた。

僕たちはもちろんそんなもらい方は嫌だったし、給料や経費として返してほしかったけれど、

いくら断っても強引に手渡してくるので、しかたなく受け取っていた。

実際、その金がなかったら、消費者金融なんかから借りるしかなかったし、

実際に僕の周りはたいがいもうだいぶ借金をしていた。

 

結果としてこの借金がその後いろんなトラブルにもつながるんだけど、

それはまた別の話。

 

7月の時点でこの会社はもうダメだと誰もが気がついていた。

一日せいぜい数万円程度の売上げで100人以上の従業員が飯を食っていけるわけもなく、

毎日従業員がいなくなっていった。

 

そんな中事件は起こった。

7月に入ってすぐの週末。

それまで、代表取締役のそばに20年近くついていた役員が

些細な報告の入れ違いの件から代表取締役の逆鱗に触れ、最終的に会社を離れる事になった。

この役員は、長く代表取締役の秘書で、かつ俺たちの部署のトップという、

いわば代表等取締役の快刀的存在な人だった。

代表取締役は何をするにもこの秘書を帯同させていたので、

彼が会社を離れたとき、誰もがこの会社はもう長くないと感じた。

 

迷惑かける、とだけいって去っていった役員が印象的だった。

 

ここまでくるともう残るだけ損だった。

ただ働きの毎日。取引先や顧客から代金の督促や返金の依頼の電話が

毎日なりやまなかった。

総務担当者は黒かった髪がみるみる白髪だらけになり、

僕も人がいなくなったコールセンターで顧客対応のヘルプに追われて

ストレスが溜まり続けていた。

受話器の向こうから次々と投げつけられる正論の数々に、

謝罪しながらも、いつ支払えるか約束すらできない状況。

何度も怒鳴られ、必死に毎日謝り続けた。

 

時には既に会社を離れた若手従業員の両親から電話がかかってきて、

「お宅の会社は従業員をただ働きさせるんですか!」と怒鳴りつけられもした。

散々謝って、なんとかのりきったあと、受話器をおいて、上司と苦笑いをした。

「お子さんの未払い額は僕の未払い額の1/2ですよ。って言えば良かったですかね?」

僕の冗談に、上司も苦笑いしながら、うなづいてくれた。

 

7月に入った頃、会社は7月末で民事再生をすると伝えられていた。

民事再生をして、体制を立て直すという話だったけれど、

僕はチャンスをみて、役員に民事再生後は会社を辞めますと伝えていた。

これ以上はがんばれない。もう関西にいる意味はない。

重要な位置にいたのはわかっていたけれど、

民事再生というのは、逆によいきっかけだった。

こんなきっかけでも無い限り、ずるずると残るはめになりそうな予感はしていた。

 

あいかわらず毎日受話器からは、ことごとく正論な支払い督促やクレームが

聞こえてきて、何も解決策を提示できず、その度に心を痛めてはいたけれど、

それでも、もう少し辛抱すれば、自由になれる、そうしたら新たな道を歩き出せる。

そう信じていた。

 

しかし、7月の末になって、

会社は8月まで民事再生を延期し、営業を続けることを決めた。

理由は、僕が請け負っていた訴訟案件のせいだった。

当時、僕は、会社の資産運用に関する証券会社との訴訟案件を請け負っており、

その請求額は数億円だった。

 

その地裁判決が8月には出る、

勝てる見込みはあったので、それに勝訴すれば、すくなくとも数千万は入ってくる。

しかし、民事再生後ではその資金が自由に使えない。

だから、民事再生を延期しよう。そういった魂胆だった。

思えば、この頃から代表取締役の私利にはしる判断が目にあまるようにはなっていた。

 

それでも、僕たちは何も言えなかった。

7月にみた地獄のような毎日が、8月になってさらに悲惨になるのは

目に見えていたし、もうあと一ヶ月もこのストレスにさらされたら、

どうにかなりそうだったけれど、やるしかなかった。

 

僕たちがいなくなったら、取引先や顧客に迷惑がかかる。

海外の窓口になってもいたので、最後まできちんと説明をしなくてはいけない。

 

Show Must Go On.

僕は8月を迎えた。

 

続く

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