「明日から少しゆっくりできるな」先輩がそうつぶやいたのは会社破産の前日だった 2

Unemployed in St. Mark's N.Y. (LOC)

Unemployed in St. Mark’s N.Y. (LOC) by The Library of Congress, on Flickr

 

前回までの話はここ。

「明日から少しゆっくりできるな」先輩がそうつぶやいたのは会社破産の前日だった 1

新卒で入った会社が二年目の秋に営業停止になり、

そこから長いサバイバルが始まった。

 

その年の冬は寒かった。それ以上にぼくらにとっては精神的にも辛い季節だった。

それまで進めていた海外との案件は状況を説明し、延期をお願いした。

僕らは行政への対応と顧客、取引先への対応、

そして今後の事業をどうしていくかということで本当に毎日忙しかった。

 

処分から数週間後に先輩に飲みに連れて行かれた。

そのとき先輩に、「これから人が追い込まれたときにどう反応するか、

それを冷静にみておけ」って言われたのをすごく覚えている。

そのときは、そんなに変わるのかなとしか思っていなかった。

 

年があけても、状況はもちろんよくはならなかった。

毎日苦しい日々だったし、若いスタッフなんかは結構職場を離れたり、

退職させられていった。

 

会社はなんとかする必要があった。このままではつぶれてしまう。

資金繰りは一向に間に合わず、毎月末取引先はもちろん、社会保険や税金の支払いも遅れだしていた。

 

決断をしなくてはならない時期だった。

会社は、保有していた債権を流動化させることにした。

そして振興のなかなか有名な金融会社と契約。

年度末ぎりぎりに保有していた債権を数億円のキャッシュ化に成功した。

このキャッシュで遅れていた支払いを追いつかせ、給料もひさしぶりに給料日に支払われた。

営業停止処分あけを目前に控え、春はすぐそこだった。

さあここからまた再出発だ。経営陣は振り出しにもどった気持ちだった。

 

しかし、そんな幹部の思いとは裏腹に現場はもう力つきていた。

一年前に比べて社員は2/3以下になっており、

環境が劣化したことやこれまでの経営陣に対する不信感もあってか、

もはやエンジンがかからない状態になっていた。

春を迎えても一向に売り上げが伸ばせない会社はまたずるずると支払いが遅れだし、

入社3年目の春、僕たち既存の社員に25日に給料振込はなかった。

新卒にだけ、2日遅れで支払われたと後から聞いた。

 

そんな中僕は再び海外案件を進めるように役員に指示を受けた。

正直会社の状況を考えたらそれどころではなく、反対だったけれど、

上の言う事は絶対という超体育会系会社において僕の意見など通るわけもなく、

このプロジェクトを遂行せざるを得なかった。

僕は4月から一ヶ月半で役員の3回の海外出張と2回の国内出張に帯同させられた。

 

その海外出張のときの出来事でよく覚えてることがある。

ロンドンで取引先とうちの役員を交えてランチをしていた際に、

取引先の中国系若手社員に、

「日本人は本当によく働くよね、中国でもみんなよく働くけど法律を無視して労働を強いる会社が

多くて問題になってるんだ。君たちの会社はどうなの?」

とたずねられた。

そのとき、僕は2週間前の給料日にもらうはずだった給料がまだ振り込まれておらず、

また、いつ振り込まれるのかも分からなかった。

 

「確かにうちもみんなよく働いているけれど、法律の範囲内でやってます、って訳してくれ」

これがうちの代取の答えだった。

僕は複雑だし、悔しい気持ちだったけれど、

笑顔でその通りに訳した。相手の彼は、「そーかー、無理したらダメだよ」

と明るく声をかけてくれた。

 

6月に入っても僕の4月の給料は入ってこなかった。

おまけに、僕は前月、前々月のヨーロッパ、アジア、国内の出張費用を立て替えていて、

立て替えている経費だけでも、その額はざっと40万円近くはあった。

貯金もそろそろ底が見え始めてきていた。

 

周りももちろん似たような生活を強いられていて、

そんな生活が続くわけもなく、次々に退職者が出て行った。

退職者が増え続ける中で、社内の注目は僕がやっている海外案件にあった。

一発逆転の可能性があるとすれば、もう一度この会社が生まれ変われる可能性があるとすれば、

そんな見方をされていたらしい。

 

しかし、

実務としては達成不可能な仕事なことは、はじめからわかっていた。

推進するにも会社にはそれをやりとげる体力がもうなかった。

僕はいたずらにみんなの期待を背負って、がんばります、と社内に愛想を振りまいているだけだった。

 

6月末。

4月の給料の半分くらいが支給された。

ちょっと生き返った気分だった。

そして、少しずつ感覚も麻痺してきていた。

このままいつまでも、この状態で生きていけるような気さえし始めていた。

 

-続く-

 

「明日から少しゆっくりできるな」先輩がそうつぶやいたのは会社破産の前日だった 3

 

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